私は7月末に、コロナ感染者数の多い関東圏から高知に引越しました。
無症状でも感染の可能性がゼロではないので、念のため最低2週間は不要不急の外出を避けることに。
一昨日8月8日でちょうど2週間が経ち、不調を感じることなく無事に経過観察が終了。
昨日晴れて、娘一家と海水浴に行ってきました。
今回は高知に引越してから2週間コロナに関するセルフチェックをしたことと、娘一家と海水浴に出かけた話をご紹介します。
関東から高知に引越して2週間様子をみた
私は高知に引越す前、埼玉県に住んでいました。
今年の春先から、あいにくコロナが蔓延。
関東は特にコロナ感染者が多く、関東以外の地域に移動するのは大変気を遣いました。
一旦コロナによる外出自粛が解禁になって、すぐ高知で部屋探し。
娘の家から近い場所に、部屋を借りることができました。
実際に高知に引越したのは、7月末。
関東では、またコロナの感染者が急増し始めた頃。
関東から引越してきたことで、私もそれなりに気を遣いました。
娘によると、2週間は必要以外の外出を避けたほうがいいとのこと。
娘の職場でも、関東からの転勤者は2週間の自宅待機を命じられたのだとか。
転入の手続きや食料品、引越し後の必需品を買うのは仕方ないかなと。
それ以外は、できるだけ外出しないようにしていました。
なので急がない運転免許証の住所変更にも、まだ行っていない状態。
高知で有名な日曜市も、グッと我慢しました。
コロナに感染した場合の主な症状は、以下の通り。
・発熱
・のどの痛み
・1週間前後、咳が長引くこと
・強いだるさ(倦怠感)
一昨日8月8日で、高知に引越してからちょうど2週間が経過。
2週間コロナの症状はなかったので、感染の疑いはかなり低いと判断。
昨日娘や孫達と、晴れて高知の海に海水浴に出掛けてきました。
娘一家と出掛けた海水浴
朝娘たちに車で迎えに来てもらい、向かったのは宇佐町という場所。
私は勝手に高知市内のような気がしていましたが、全くの見当違い。
宇佐町は私の部屋から車で30分ほどのところにあり、海水浴客も少なくきれいな海でした。
私は海水浴に際し、孫の好物だという茹でたサツマイモを用意。
行きの車中では、お芋ちょうだいと言って孫は3個も食べてくれました。
海水浴場に到着したのは、朝10時頃。
12時過ぎまで2時間以上、海で遊びました。
といっても私は水着を持っていないので、足だけ海水に漬ける感じ。
思った以上に海水が温かく、やはり高知は南国だなと実感しました。
海に入ってまもなく、予想外のことが発生。
左足の甲に、チクッと痛みが走りました。
見てみると、直径1㎝ほどの白いものが乗っています。
クラゲかなと思い、手の指で弾きました。
直後に血がじわっとしみ出てきて、やはり先程の白いものに刺されたのだと判明。
海水に漬かっていれば治りが早いかもと思い、10分ほど波打ち際に立って様子見。
すぐに血が止まり、痛みも消失。
帰宅後に調べたら、やはりクラゲの幼生のよう。
痛みは少々感じたものの、刺された部位が腫れることもなく心配はなさそう。
子供時代は毎年茨城の海に遊びに行っていたのに、海の生物に刺された経験はゼロ。
50数年間生きてきて、初めてクラゲに刺されました。
長年生きていると、いろいろなことがあるものですね。
娘一家は水着で思い切り遊び、孫も大満足の様子。
帰りの車の中で、隣にいる私に孫が一言。
「ばあば、手を繋いで。」
手を繋ぐと、数分後に孫は眠ってしまいました。
普段から孫は寝る前によく母親と手を繋いだり、背中をトントンしてもらったりするのだとか。
安心して眠る孫の顔が見られて、近くに引越してきて良かったとしみじみ。
10分ほど走ってうどん屋さんに入ろうとしたのですが、孫は熟睡状態で全く起きる気配なし。
今回は一緒に昼食を摂るのを諦めて、部屋の近くで降ろしてもらいました。
高知に引越して2週間。
いまだに埼玉の部屋のことが頭に浮かんだり、高知にいることが夢のような気がしたり。
不思議な感じですが、そのうち高知での暮らしにも慣れていくことと思います。
関東から引越してきて2週間経った現在、コロナの自覚症状は一切ありません。
多少気を遣いましたが、一区切りついたかなと。
もちろん全国的には感染者数が急増しており、油断はできません。
高知はまだ感染者数が少ないのですが、娘が出産予定の9月までに収束するとも思えない状況。
入院中の面会はあまり期待せずに、今できるコロナ対策をしっかりしていくつもりです。
お手数ですが、押していただけたらうれしいです♪
最後に
今年は、コロナ禍という前代未聞の事態に見舞われました。
引越しでこんなに気を遣ったのは、今回が初めて。
またコロナの影響で、私が高知移住を決めたことも確かです。
少しでも早く収束してほしいものですが、人々の意識も大きく変えたコロナ。
我々人間が今後どのような生き方をするのか、問われているような気がしてなりません。