私は今月に入ってから大きな断捨離をしました。
それは夫の遺品という大物。
昨年亡くなった夫のものを手放した後、なぜかいつも以上に疲れました。
その疲れが人気ミニマリストの筆子さんのおかげで、だいぶ軽くなった気がします。
今日はその話をご紹介したいと思います。
大きな断捨離で疲れた
私が最近した大きな断捨離は夫の遺品です。
昨年末に亡くなった夫が大事にしていたものを手放しました。
具体的には、夫が大ファンだったミュージシャンのタオル類。
手放したこと自体は後悔していません。
物は手放しても夫のことは一生忘れないので、夫も許してくれると思います。
ですが、その後いつもは感じないようなものすごい疲れを感じました。
最初はただの疲れだと思っていましたが、2~3日たってもなかなか取れない疲れ。
おかしいなと思い、ふと断捨離で疲れたのではと気付きました。
一般的な断捨離疲れ
断捨離疲れというと、一般的には断捨離の決断疲れを指すと思います。
決断疲れというのは、断捨離を続けて疲れがたまり物を手放すかどうかの決断がむずかしくなることだと私は理解しています。
私の場合は決断できてその後に疲れが出たので、違うと感じます。
これも断捨離疲れと言ってもいいのでしょうか。
とにかくその原因を自分なりに考えてみました。
今回の疲れの原因
今回は夫の遺品という、思い出の品の中でも最も断捨離しにくい物を手放しました。
自分の決断は後悔していなくても、どこかで罪悪感があったのでしょう。
その罪悪感が、普段では考えられない疲れを感じさせたのだと思います。
罪悪感てどうやって手放せばいいんだろう、自然と消えるのだろうか。
そう思いながら解決策を必死で探すわけでもなく、あるサイトにお邪魔したところ、素晴らしいことが書かれていました。
罪悪感が軽くなったきっかけは筆子さん
罪悪感をかなり軽くしてくれた記事はこちらです。
minimalist-fudeko.com
こちらは人気ブログ「筆子ジャーナル」の運営者、ミニマリストの筆子さんが書かれた記事。
中でも、特に次の2つの章が大変参考になりました。
2.人に譲るか捨てるか? 自分で優先順位を決める
(中略)
亡くなったお兄さんがいま生きていたら、「おいおい、僕のコレクション、大事にしてよ」とおっしゃるかもしれませんが、一方で、自分の所持品の始末で妹が悩んでいるのを見るのもお兄さんの本意ではないと思います。
物を循環させる話ですが、この世界はつながっているので、その物に対して、破壊的なことをせずに、そのまま外に出せば、それを必要としている人のところの手に渡るのではないだろうか、と私は考えています。
「このコレクションを持つべき最適な人に渡したい」と思いすぎると、その完璧主義が自分を苦しめることになります。
3.取り越し苦労をせず、いまを生きる
(中略)
それぞれ、大切な思い出を体現している物なのかもしれません。ですが、思い出品ってそこまで数はいらないんじゃないでしょうか?
少なくとも、思い出の品の処遇に悩んで、現在の暮らしが損なわれるのは本末転倒だと思います。
出典:「筆子ジャーナル」
私も夫のコレクションをしかるべき人に渡したい、と考えていました。
捨ててしまうより、価値のわかる方に譲ったほうが亡き夫も喜ぶだろうと。
でも遺品のバスタオルがかび臭かったので、差し上げるのは失礼だと思ってやめた経緯があります。
夫の大事なものをうまく生かすことができなかったのが、夫に対してとても申し訳ない気持ちでした。
今回こちらの記事を拝見して悩む私の姿を夫は見たくないのでは、と考えたら、急に気が楽になりました。
また手放したことで罪悪感を感じるほうが、夫は悲しむような気もします。
私が勝手にそう思いたいだけかもしれません。
それでも夫の願いは私が前向きに生きていくことだと感じるので、許してもらえるのではないかと思います。
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最後に
思い出の品を手放すのは勢いが必要だと感じます。
今回も勢いで遺品を手放しました。
後悔はしていないつもりですが、罪悪感という手ごわいものが現れて思いがけず疲れました。
存在感の大きいものを手放すのは、つくづく覚悟がいるものだと実感。
それでも夫のことは忘れないという自信があるので、手放せたのだとも。
今後こんなに大変な思いをしそうなものはないので、またマイペースでゆっくり断捨離していきたいと思います。
この記事が少しでも皆様のお役に立てばうれしいです。