私は2年前に夫を急病で亡くしました。
それ以来、心の片隅にあった「いつ死んでもいい」という思い。
それがミニマリストになってから、大きく変化していることに気づきました。
自分でもビックリですが、同じ言葉でも正反対の意味になっているんですね。
今日は死という少し重いテーマですが、よろしかったらお付き合いください。
夫の急死で少し投げやりになった時期も
再婚した夫は2年前に急病で亡くなりました。
夫は直前まで元気だったので、まさかそんなことになろうとは夢にも思わず、呆然としました。
そんな中でも葬儀の手配や手続きなどは何とかこなしましたが、落ち着くと自分1人どうやって生きていくか途方にくれました。
同時期に実父も亡くなり、頼りになる人を2人失ったことに。
それまでの私は、誰かのために生きていた部分が大きかった気がします。
自分の好きなように生きていいよ、と言われたらどうしたいかよくわからなかった。
夫が亡くなって、正直私一人が世の中に放り出された気分でした。
半ばあきらめの気持ちで「いつ死んでもいい」と内心思っていました。
私のライフワークだと思っていた子育ても、いつの間にか子供が独立して終了。
両親も夫もいない。
私がいつ死んでも暮らしに困る人はいません。
自分一人のことだけ考えていればいいんですよね。
また、ミニマリストになって生前整理もある程度済んでいるはず。
急に私がこの世からいなくなっても、娘たち2人に遺品整理で迷惑をかけることはないかなと。
心置きなくあの世に旅立つことができると思っていました。
「いつ死んでもいい」のニュアンスがポジティブに変わった
それが、最近「いつ死んでもいい」のニュアンスが変わってきたことに気づきました。
夫が亡くなった直後に比べると、かなりポジティブな「いつ死んでもいい」に変化。
それは、一日一日を精一杯生きていれば、いつ死んでも悔いはないということ。
気づいたのは、婚活に対する考えが変わったことがきっかけでした。
私は現在50代ですが、パートナーが欲しいと思って真剣に婚活中。
最近、そんな私に心境の変化が。
無理にパートナーを見つけなくてもいいかなと思うように。
50代の婚活が厳しいということもありますが、一人でも生きていけそうな気がしてきたからです。
もちろん頼りになるパートナーがいれば、今後の人生は充実しそう。
それでも、パートナーがいなくても生き生きと暮らしている方は多いですよね。
先日ご紹介した作家の曽野綾子さんもそのお一人。
そんなお姿を拝見していると、一人暮らしも悪くないなと思えてきたんですね。
そして、パートナーがいてもいなくても日々充実した暮らしをすることが、私の真の願いだとやっと気づきました。
私は数年前に知ったスティーブ・ジョブズ氏の言葉をよく思い出します。
「もし今日が人生最後の日だったとしても、今からやろうとしていることをするだろうか」
人はいつか死ぬことを頭ではわかっていても、実感できないことが多いのでは。
それが死が身近になると、一瞬一瞬を大切に生きるようになるのだと思います。
私は夫や父が亡くなって2年経ち、この言葉が最近腑に落ちた気がします。
ミニマリストになって、以前より丁寧に暮らすようになったからでしょうか。
私の考えるミニマリストは、自分の快適を知っている、あるいは知ることにどん欲な人。
ミニマルな暮らしというのは、実は日々を大切に生きることでは。
スティーブ・ジョブズ氏自身もミニマリストだと言われています。
共感するのは当然かもしれません。
また、死について考える時よく思い出すのは、以前ご紹介した60代で一人暮らしのショコラさん。
私はショコラさんの次の言葉に大変共感しています。
「今まで人生を生きてきて、ある程度やりたいことはやった。だから、どうしようもなくなったら、死んでしまえばいいんだ」
出典:『58歳から日々を大切に小さく暮らす』ショコラ著(すばる舎)
どうしようもなくなったら死んでしまおう、というのは、一見かなりネガティブです。
でも、それは自ら死を選ぶということではないはず。
そう思うことで気が楽になる、という逆説的な考えだと私は思っています。
もし生きるのがつらい状況になっても、いずれ死んだらその状況は終わるのだからと。
実際に私も何度かそう思って楽になった経験があります。
ものは考えようではないでしょうか。
死ぬことを考えたら怖いものはありません。
私がミニマリストになってから、ニュアンスが変わった「いつ死んでもいい」。
いつ死んでも悔いはないと思えるほど、毎日が充実していたら素晴らしいですね。
まだまだ惰性で暮らしてしまうことも多い私ですが、この記事を書いていて改めて日々を大切に生きていきたいと思いました。
お手数ですが、押していただけたらうれしいです♪
最後に
ミニマリストになって余分なものをそぎ落としていくと、在り方そのものも変わっていきます。
死に対する考え方もかなり変わってきて、自分でも驚きます。
これは残りの人生をよりよく生きていくために、私にとって必要な変化だったと感じています。
今日は少し重い死について、私なりの考えをご紹介しました。
この記事が少しでも皆様のお役に立てばうれしいです。