ミニマリスト三昧

夫と死別した50代ミニマリスト。砂糖断ちとカフェイン断ち中のゆるベジタリアン。

持ち家なしパートナーなしでも十分幸せ!ミニマリストの感度は高いのか?

私は長年持ち家とパートナーについて無意識の思い込みがあったことに気づいて、最近やっと手放しました。

思い込みを手放して、今はどちらでもいいと思えるように。

当ブログでご紹介したところ、思いがけず反響が大きくてビックリ。

もっと深掘りしてみると、ミニマリストになって幸せ感度が上がったことが判明。

今回ミニマリストになって、足るを知るようになった話をご紹介します。

持ち家とパートナーについての思いこみを手放した

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先日持ち家とパートナーの記事を書いた際に、様々なご意見やご感想をいただきました。

いろいろな角度からの反響に、私自身も改めて考えさせられました。

持ち家とパートナーについての記事は、こちらです。

無意識に持っていた2つの思い込みを手放す!老後の理想像は不要だった。 - ミニマリスト三昧

 

私は若い頃から持ち家とパートナーについて、無意識である思い込みを持っていたようです。

亡き両親の影響で、私も老後は持ち家にパートナーと暮らすのが幸せなのだと。

また持ち家もなくパートナーもいない現状は不幸だ、とまで無意識に思っていたことも判明。

予想外の思い込みに気づいて、最近やっと手放しました。

人間関係や持ち物に関係なく幸せを感じる

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もちろん持ち家があってパートナーもいれば、それなりにうれしいのは確か。

それでも持ち家もパートナーもない現状が不幸かといえば、全くそんなことはないんですね。

足るを知るようになったというか、どんな状況でも幸せを感じやすくなった気がします。

 

たとえパートナーや家族、気の合う友人がいなかったとしても、家がなくても幸せだなと。

望む人間関係やものがあってもなくても、関係なく幸せなのが本当の幸せなのかなとも。

やせ我慢をしているわけではなく、割と自然にそう思えています。

   

 ミニマリストになって幸せの感度が上がった

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人間関係や持ち物がどうであれ幸せだと思えるのは、やはりミニマリストになったことが大きいと痛感しています。

自分にとって必要最低限のもので暮らすようになって、幸せの感度が上がったような気さえしています。

 

今思うと不要なものが多かった時期は、かなりストレスを感じていたなと。

不用品がグンと減ってからは、自分の状態に目を向けることが増えました。

自分がどんな状況なら快適か、どんなものを持っていたらうれしいか。

自分の快適は、幸せに直結するのでは。

 

快適なことは、案外ハードルが低いものです。

おいしいお茶が飲めて、うれしい。

きれいな夕焼けが見えて、感動した。

好きな音楽が聞けて、幸せ。

日々の中で、本当にささやかな幸せに気づくようになりました。

 

ひいては、もっと根源的なことにまで感謝できるように。

安全な場所に住んで、雨風がしのげること。

毎日きちんと食事ができること。

清潔な布団で眠れること。

電気・ガス・水道料金をちゃんと払えて、毎日使えること。

数え上げれば、きりがありません。

 

不要なものに感じていたストレスが減ると、自分の生き方そのものを振り返るチャンスが増えるのかも。

現実がどうかは関係なく、幸せを感じられる状態に身を置くことが大事なのかなと。

 

私が気楽な一人暮らしだから、ということもあるでしょう。

パートナーがいた時は、確かに自分のことを考える時間は今より少なかったですね。

それにしてもやはり不要なものが少ないことが、私にはとても意味があるのだなと。

ミニマリストというライフスタイルに出会えて、つくづくラッキーだと感じました。

  

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最後に

ミニマリストになって、様々なことについての執着がかなり減りました。

持ち家に住んでパートナーがいればうれしいけれど、そうでなくても全然構わないなど。

執着が減ると、本当に自分が楽になります。

60歳を目前にして、やっと自分らしい生き方を見つけた気がします。

ミニマリストという生き方を勇気を持って実行された先輩方には、感謝の念しかありません。

今後も自分らしいミニマルライフを追求していきたいと思います。