私は長年持ち家とパートナーについて無意識の思い込みがあったことに気づいて、最近やっと手放しました。
思い込みを手放して、今はどちらでもいいと思えるように。
当ブログでご紹介したところ、思いがけず反響が大きくてビックリ。
もっと深掘りしてみると、ミニマリストになって幸せの感度が上がったことが判明。
今回ミニマリストになって、足るを知るようになった話をご紹介します。
持ち家とパートナーについての思いこみを手放した
先日持ち家とパートナーの記事を書いた際に、様々なご意見やご感想をいただきました。
いろいろな角度からの反響に、私自身も改めて考えさせられました。
持ち家とパートナーについての記事は、こちらです。
無意識に持っていた2つの思い込みを手放す!老後の理想像は不要だった。 - ミニマリスト三昧
私は若い頃から持ち家とパートナーについて、無意識である思い込みを持っていたようです。
亡き両親の影響で、私も老後は持ち家にパートナーと暮らすのが幸せなのだと。
また持ち家もなくパートナーもいない現状は不幸だ、とまで無意識に思っていたことも判明。
予想外の思い込みに気づいて、最近やっと手放しました。
人間関係や持ち物に関係なく幸せを感じる
もちろん持ち家があってパートナーもいれば、それなりにうれしいのは確か。
それでも持ち家もパートナーもない現状が不幸かといえば、全くそんなことはないんですね。
足るを知るようになったというか、どんな状況でも幸せを感じやすくなった気がします。
たとえパートナーや家族、気の合う友人がいなかったとしても、家がなくても幸せだなと。
望む人間関係やものがあってもなくても、関係なく幸せなのが本当の幸せなのかなとも。
やせ我慢をしているわけではなく、割と自然にそう思えています。
ミニマリストになって幸せの感度が上がった
人間関係や持ち物がどうであれ幸せだと思えるのは、やはりミニマリストになったことが大きいと痛感しています。
自分にとって必要最低限のもので暮らすようになって、幸せの感度が上がったような気さえしています。
今思うと不要なものが多かった時期は、かなりストレスを感じていたなと。
不用品がグンと減ってからは、自分の状態に目を向けることが増えました。
自分がどんな状況なら快適か、どんなものを持っていたらうれしいか。
自分の快適は、幸せに直結するのでは。
快適なことは、案外ハードルが低いものです。
おいしいお茶が飲めて、うれしい。
きれいな夕焼けが見えて、感動した。
好きな音楽が聞けて、幸せ。
日々の中で、本当にささやかな幸せに気づくようになりました。
ひいては、もっと根源的なことにまで感謝できるように。
安全な場所に住んで、雨風がしのげること。
毎日きちんと食事ができること。
清潔な布団で眠れること。
電気・ガス・水道料金をちゃんと払えて、毎日使えること。
数え上げれば、きりがありません。
不要なものに感じていたストレスが減ると、自分の生き方そのものを振り返るチャンスが増えるのかも。
現実がどうかは関係なく、幸せを感じられる状態に身を置くことが大事なのかなと。
私が気楽な一人暮らしだから、ということもあるでしょう。
パートナーがいた時は、確かに自分のことを考える時間は今より少なかったですね。
それにしてもやはり不要なものが少ないことが、私にはとても意味があるのだなと。
ミニマリストというライフスタイルに出会えて、つくづくラッキーだと感じました。
お手数ですが、押していただけたらうれしいです♪
最後に
ミニマリストになって、様々なことについての執着がかなり減りました。
持ち家に住んでパートナーがいればうれしいけれど、そうでなくても全然構わないなど。
執着が減ると、本当に自分が楽になります。
60歳を目前にして、やっと自分らしい生き方を見つけた気がします。
ミニマリストという生き方を勇気を持って実行された先輩方には、感謝の念しかありません。
今後も自分らしいミニマルライフを追求していきたいと思います。