私の夫は、1年前に突然亡くなりました。
夫の一周忌を迎えたのを機に、少し振り返ってみたんですね。
この1年間で私が断捨離したものの中で、一番大きなもの。
それが何か、最近気づきました。
今日は、その話をしたいと思います。
亡くなった夫の事
夫とは、5年前に再婚しました。
私は再婚した夫と、4年前に山間部に移住しています。
農薬を使わないで、野菜や花を育てたいと思ったからです。
そのためには、できるだけご近所の畑から農薬が飛んでこないような場所に畑を持ちたいと思いました。
岡山県内を探して気に入ったのが、今年5月まで住んでいた家。
夫は勤めに出ながら慣れない農業をして大変だったと思いますが、草刈りや畑を掘り起こす力仕事をしてくれて助かりました。
夫とはよく喧嘩もしました。
それでも、やはり死ぬまで添い遂げるつもりでした。
4年半の結婚生活ではいろいろありましたが、夫には人としてたくさんのことを教えてもらいました。
口下手なので、言葉でというよりは行動から学ぶことが多かったと感じます。
夫は大変義理堅い人で、お世話になったことはずっと忘れませんでした。
また、誰にでも自分から気軽に声をかける夫の姿に私もかなり影響を受けました。
夫に出会うまではなかなか人に心を開けないところがありましたが、再婚してからは本来の自分が出せるようになりました。
また夫には子供がいなかったのですが、小さい子を見るとあやすような子供好きでした。
そういう夫を見ると心が和んだものです。
夫の死後の心境
その夫が昨年末突然亡くなり、私は途方にくれました。
これから残りの人生を一緒に過ごすつもりだったのに、突然私の前から姿を消してしまい、どうしたらいいかわからなくなりました。
そのうちに、自分の力ではどうにもならないことがあると気づきました。
自分でできる限りのことはする。それでもどうにもならないこともある。
ジタバタしてもどうにもならないと、あきらめるしかなくなります。
そういう状況になった時、人はあきらめて運命に身を委ねるしかないと感じるのです。
まさに人事を尽くして天命を待つ、の心境になりました。
それと同時に、自立して一人で生きていかなければ、と決意しました。
もちろん娘が二人いるので、何かあれば相談には乗ってくれます。
ですが、基本的には自分一人でやっていかなくてはいけません。
夫が亡くなるまでは、自分の人生がどこか他人事のような気がしていました。
ですが、夫が亡くなってからは命がけで自分の人生を生きなくては、と思うようになりました。
そのほうが夫も喜ぶ気がしました。
断捨離した一番大きなもの
夫が亡くなってから一年がたち、私がこの1年間で断捨離したものの中で一番大きなもの。
それは執着でした。
自分を取り巻く物事を、自分の思い通りにしたいという執着です。
それまでは努力すれば、何とか自分の思い通りにできる気がしていたんですね。
それが、自分ではどうしようもないことが起こって、手放さなくてはいけなくなりました。
それは強制的に手放さざるをえなかった、と言ったほうが正しいかもしれません。
その執着を手放してからは、だいぶ精神的に楽になりました。
ただその時自分のやるべきことをするだけで、結果に執着することがかなり減りました。
夫は生前だけでなく、亡くなってからも私にたくさんの気づきを与えてくれます。
感謝してもしきれません。
夫の言葉
人は無意識に自分の死期を悟って遺言のようなことを言う、と聞いたことがあります。
夫は亡くなる2日前に、俺は今幸せだよ、と言ってくれました。
その時は、ただ単にうれしかっただけでした。
亡くなってからはその言葉を何度も思い出し、あの時言ってくれたことが奇跡だと感じます。
あの言葉から夫が私との結婚を後悔していなかったとわかるので、私も救われた気がしています。
最後に
先日、近くのお寺で夫の一周忌法要を無事に執り行いました。
その節目に感じたことを、ご紹介させていただきました。
こういう個人的な事は、本来書くべきではないのかもしれません。
気分を害されたら、大変申し訳なく思います。
それでも書かせていただくことが夫への鎮魂になり、私自身も気持ちを新たにすることができました。
最後まで読んでいただいた、すべての方に感謝致します。