遅ればせながら、私は1年半前に初めてミニマリストの存在を知りました。
ミニマリストというライフスタイルは、当時の私にとって大変な衝撃。
少ないもので暮らすことも驚きでしたが、それ以上に心を大きく揺さぶられた理由があったんですね。
最近になってようやく気づきました。
今日は、なぜ私がミニマリストを知ってこんなにカルチャーショックを受けたのか、その理由をお話をしたいと思います。
1年半前にミニマリストの存在を知った
日本でミニマリストが注目されるようになったのは、2015年頃だそうです。
私は3年も遅れて2018年の初夏に、初めてミニマリストの存在を知りました。
はてなブロガー石黒敬太さんの、部屋着と外着を分けないという記事を拝読したのが、きっかけでした。
それまで疑いもなくパジャマを着ていたので、パジャマ専用の服がないことにカルチャーショックを受けました。
ミニマリストというライフスタイルは、それまで私の中には存在しなかった生き方。
必要最低限のもので暮らすミニマリストは、皆幸せそうでした。
それからはミニマリストに憧れ、自分もなりたいと思うように。
2018年6月から、本格的な片づけを開始しました。
1年ほど片づけを続けてきて、ほぼ不用品は手放したつもりでした。
それがまだ甘かったとわかるのは、昨年2019年7月に知った、8割捨てる全捨離。
昨年2019年7月から年末までの5ヶ月間に怒涛の勢いで捨て続け、今度こそ不用品はほぼ処分できたかなと。
残っているのは写真くらいです。
現在は、今の自分にとって必要最低限のもので暮らしています。
不用品がなくなって掃除や持ち物の管理などが格段に楽になり、ストレスも結構手放しました。
ミニマルな暮らしは快適そのもの。
家具がかなり減ってがらんとした部屋は、清々しささえ感じます。
1年前娘に言われた、何もない部屋は居心地が悪いだろう、という予想は当たりませんでした。
私はミニマリストというライフスタイルに出会えてよかった、と心底思っています。
先ほど、1年半前にミニマリストを知って衝撃を受けた、と書きました。
ものが少ないことにも驚きましたが、それ以上に私の価値観を根底から覆すようなショックを受けたんですね。
ミニマリストになった現在、どうしてミニマリストにそんなに衝撃を受けたのか、理由がわかりました。
これからその理由をお話しますね。
私がミニマリストに衝撃を受けた1番の理由
皆様もご存知だと思いますが、ミニマリストは自分にとって必要最低限のもので快適に暮らす人。
ミニマリストは、自分の感覚に敏感で自分に正直な人だと思っています。
なので、自分の快適さをとことん追求できるのでは。
ミニマリストを初めて知った頃、トイレブラシやベッドなどがなくても、快適に暮らしていることに心底驚きました。
それまで当たり前だと思っていたものがなくても、十分暮らせることが衝撃でした。
さらにものだけでなく、ストレスや家事の手間なども手放して、心身ともに快適な暮らしをしているミニマリスト。
私がミニマリストに衝撃を受けたのは、それまで知らなかった全く新しい価値観を教えてくれたから。
こんなことをやっていいんだ、こんなことまでできるんだ、という可能性を見せてくれたことが、私には大変貴重なことだと思っています。
あって当たり前だと思っていた、バスタオルやバスマット、ベッドなどがなくても快適に暮らせること。
部屋着と外着を分けないという考え方。
自分の快適をストイックに追い求めても許されること。
目から鱗が落ちる連続でした。
それまでの私は、一般的に当たり前と思われるような習慣やものを、あまり深く考えずに受け入れていたところがあります。
実はそれが私の快適だとは限らないことに、初めて気づいた時のショック。
まるで頭をハンマーで殴られたよう。
それまでの価値観が大きく揺らいで、アイデンティティクライシス同然の変化が起こりました。
ミニマリストという生き方は、当時の私にとって異文化そのもの。
50年以上当然だと思っていたものが、実はそうではなかったと気づいた時の衝撃は、言葉では言い表せません。
ミニマリストを知って、私の価値観は大きく変わりました。
近年、ミニマリストの認知度は少しずつ上がってきているようです。
2015年頃に比べると、ミニマリストはだいぶ生きやすくなったのでは。
価値観まで大きく変えてくれたミニマリストの先輩方には、感謝しかありません。
今後も自分らしい暮らしをして、発信していきたいと思います。
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最後に
1年半かかって、私は今の自分にとって不要なものを手放しただけ。
ようやくミニマリストのスタート地点に立てた、と思っています。
これからより快適な暮らしを追求していけば、まだまだ不要品は出てくるはず。
執着など目に見えない不要なものも、残っていると感じます。
50年以上ため込んできたものは、そう簡単には手放せないのかもしれません。
それでも私は片づけることで、新しい自分を発見するのが楽しい。
今後も、楽しみながらミニマルな暮らしを続けていこうと思います。